bk1の「フィルムコートサービス」


書籍にフィルムコートしたいときがある。
例えば、PPコーティング(※)されていない、マットな白いカバーのとき。
マットな白いカバーだと汚れが落ちにくくて、手あかで薄汚れてくると悲しいキモチになってきます。

※PPコーティング:つやつや光っているカバーのことです。一方、「マット」は、インクジェットプリンタなどでよく使われている「つや消し」の紙を指しています。 >> 【PP加工】【PP貼り】(吉田印刷所 DTP・印刷用語集)

学生の頃は、『数学公式集』のような頻繁に使うものに透明シートを貼ったことはありますが、空気が入ってしまって、うまく貼り付けできなかったりといろいろ面倒でした。

bk1では、その面倒なフィルム貼りを120円で行うというサービスを開始。いまならキャンペーンで60円。
これは便利です。一般家庭だけでなく、保育園・幼稚園などではかなり需要があるのではないでしょうか。


フィルムコートサービス(bk1)
http://www.bk1.co.jp/contents/help/he_m08.asp

フィルムコートサービスとは、書籍をラミネートフィルムでカバーするサービスです。 多くの図書館でも採用されているサービスで、書籍の耐久性が格段に向上します! 小さなお子様がいらっしゃる場合や、 多数の方が閲覧する場合、その他どうしても本を汚したくない場合などに是非ご活用ください。

Image

| | Comments (2) | TrackBack (3)

『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』(ミンツバーグ)

『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』ヘンリー・ミンツバーグ著、池村千秋訳、日経BP社、2006 ASIN:4822245160(bk1
詳細情報はこちら >> 日経BP書店 書籍紹介−MBAが会社を滅ぼす

Image  Image

【主要目次】
PART1 MBAなんていらない
1.間違った人間
2.間違った方法
3.間違った結果 (1) - 教育プロセスの腐敗
4.間違った結果 (2) - マネジメント実務の腐敗
5.間違った結果 (3) - 既存の組織の腐敗
6.間違った結果 (4) - 社会制度の腐敗
7.新しいMBA?
PART2 マネジャーを育てる
8.企業のマネジャー育成
9.マネジメント教育の構築
10.マネジャーの育成 (1) - IMPMプログラム
11.マネジャーの育成 (2) - 5つのマインドセット
12.マネジャーの育成 (3) - 職場における学習
13.マネジャーの育成 (4) - 学習のインパクト
14.マネジャーの育成 (5) - イノベーションの普及
15.本物のマネジメントスクールをつくる


▼著者は1939年生まれ。著名な経営学者で、現在はカナダのマギル大学経営大学院教授。主な著書に『人間感覚のマネジメント』『マネジャーの仕事』など。
・マギル大学 http://www.mcgill.ca/
・Henry Mintzberg http://people.mcgill.ca/henry.mintzberg/ http://www.henrymintzberg.com/


MBAをかなり厳しく攻撃していますが、ではどうすればよいか(IMPMプログラム)まで述べていて説得力あります。日本のMOTプログラムでも参考にしてほしいですね。ミンツバーグに賛成するか否かにかかわらず、一読の価値ありです。

同書348-349頁より。

関与型のマネジャーはおおむね、治療(キュア)より世話(ケア)を好む。すぐにメスを振るいたがる外科医と違って、なるべく手術を避けようとする。ピラミッド型組織の頂点に君臨するのではなく、ネットワーク型組織のあちこちに顔を出す。このようなマネジャーにとって、戦略は天から落ちてくる雷のようなものではなく、みんなで地面に植える樹木のようなもの。「私が考えて、君たちが行動する」というのがヒーロー型マネジャーの信条だとすれば、関与型マネジャーの信条は「みんなで夢を見て、みんなで行動する」というものだ。

以下の図(ヒーロー型マネジメントと関与型マネジメント)は349頁より。

Image


(追記 2006-11-08)
柳瀬陽介先生(広島大学大学院教育学研究科)の書評です。
本エントリーよりも詳しくまとまっていて、英語教育界に身を置く先生ならではの視点が冴えてます。

ヘンリー・ミンツバーグ著、池村千秋訳『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』日経BP (2006/11/3)
http://ha2.seikyou.ne.jp/home/yanase/review2006.html#061103

英語教育界でも、研究開発校などでは、修士号や博士号を持つ人間が現場のリーダーのように振る舞い、学士しか持たない人々をマネジメントするのが当たり前だといった風潮があります。外部から「指導助言者」が来て、現場に指示を出すといったことです。この風潮が正当化できるのは、修士号・博士号取得で培われた能力が、現場のリーダーシップ・マネジメントの能力に直結していると仮定できてのことです。しかしこの仮定は正しいのでしょうか。

ビジネスの世界ではMBA(経営学修士号)が、リーダー養成機関として幅をきかせています。しかし経営学のミンツバーグ(Henry Mintzberg)はこの傾向を痛烈に批判します。以下しばし、MBAと英語教育学修士・博士をパラレルに考えて、英語教育界におけるリーダー育成、教育・研究活動がどうあるべきかを考えてみたいと思います。


日本経済新聞 2006年8月27日には、小川進教授(神戸大学)の書評が載っていました。一部引用します。

必要なのは「事業経験の少ない」者に対して「分析」を「教える」のではなく、「ある程度事業経験を積んだ」者が「マネジメント」を「学ぶ機会を提供する」ことだと著者は訴える。そして参加者が授業を通じて自らの事業経験を省察(reflect)する機会を持つことが重要だと説く。確かにそこで紹介される事例に思い当たる点は多い。

 日本でも近年、MBA教育が盛んになりつつあり、多くのプログラムは欧米の従来型の方法を採用している。しかし、本当にそれでよいのか。本書が提唱する現場と教室の間で知の化学反応を起こす方法こそ、受講生にも、そして教官にも多くの学びや成長の機会をもたらすのではないか。そう思いをめぐらす頃には、いつしか本書は付箋だらけとなり、評者が参考書を並べる棚に定位置を占めるようになっていた。人材育成に関心のある方には是非お読みいただきたい書である。


【関連リンク】小川進研究室(神戸大学)
http://www.b.kobe-u.ac.jp/ogawa2/

| | Comments (1) | TrackBack (0)

『新明解国語辞典』を読む

家の本棚をがそごそと探しものをしていたら『明解国語辞典(改訂新装版)』(三省堂発行)が出てきました。 そう、日本で一番売れている国語辞典と言われている『新明解国語辞典』、通称「新解さん」の前身となる辞書です。

これは、昭和18年発行『明解國語辞典』の改訂版で、発行は昭和27年です。手持ちのはその新装版です。内容は改訂版と同じですが、(当時の)新語が巻末に追加されています。

編纂にあたったのは以下の4人。や、そうそうたるメンツです。

監修:金田一京助
編集:見坊豪紀(けんぼう ひでとし)
   山田忠雄
   金田一春彦

明解國語辞典 復刻版
http://www.sanseido-publ.co.jp/publ/dicts/fuku_meikoku.html

いくつか引いてみました。

……………………
どおぶつえん【動物園】
種種の動物を養って、研究する・(見物させる)所。

れんあい【恋愛】
男女間のこい慕う愛情(がはたらくこと)。こい。
……………………

あれ、割と普通ですね。この頃はまだ山田さん(主幹)の毒が出ていない頃なのでしょう。

ちなみに、「動物園」は『新明解国語辞典 第4版』では、以下のような語釈になっているそうです。

……………………
どうぶつえん【動物園】〔新明解国語辞典 第4版〕
公衆に生態を見せ、かたわら保護を加えるためと称し、捕らえてきた多くの鳥獣・魚虫などに対し、狭い空間での生活を余儀無くし、飼い殺しにする、人間中心の施設。
……………………

「飼い殺し」って……。
さすがに批判を受けたのか、第5版(第6版も同じ)では以下のように変更されました。

……………………
どうぶつえん【動物園】〔新明解国語辞典 第5、6版〕
捕らえて来た動物を、人工的環境と規則的な給餌(キュウジ)とにより野生から遊離し、動く標本として都人士※に見せる、啓蒙を兼ねた娯楽施設。
……………………

※ 新解さんによると、都人士とは、「(生活の便利さを享受する一方、自然に接する機会に恵まれない)都市居住者。」だそうです。

なんだか、突然自虐的というか、トラウマをかかえた都会人像が浮かび上がっています。極端すぎます。
というか、「都人士」みたいな、辞書を引き直さないとわからない言葉を使うなー、と叫びたいです。

※ もっと知りたい方は、こよなく新解さんを愛する万省堂主人のサイトが詳しいです(上の記述でも参考にさせて頂きました)。こちらをご覧ください。 >>> 新明解国語辞典の魅力 万省堂主人


さ、気を落ち着けて、今度は『新明解国語辞典 第6版』の新聞広告でも使われた「世の中」を引いてみます。

……………………
よのなか【世の中】〔明解国語辞典 改訂版〕
1. 世間。社会。 2. 現世。
……………………

これだけです…。

第5版では、以下のようになっています。

……………………
よのなか【世の中】 〔新明解国語辞典 第5版〕
1. 同時代に属する社会を、複雑な人間模様が織り成すものととらえた語。愛し合う人と憎み合う人、成功者と失意・不遇の人とが構造上 同居し、常に矛盾に満ちながら、一方には持ちつ持たれつの関係にある世間。
2. 現在の時点・環境を、これまで経験してきた環境となんらかの意味で比べて批評して言う語。時代。時節。
……………………

そして、第6版では以下のようになっています。

……………………
よのなか【世の中】 〔新明解国語辞典 第6版〕
1. 社会人として生きる個個の人間が、だれしもそこから逃げることのできない宿命を負わされているこの世。一般に、そこには複雑な人間関係がもたらす矛盾とか政治・経済の動きによる変化とかが見られ、許容しうる面と怒り・失望を抱かせる面とが混在すると捉えられる。
2. 〔第5版と同じ〕
……………………

うーん、哲学語ってますね (^^;
ちなみに、『岩波国語辞典』では以下のようになっていました(本当にこれだけです)。

……………………
よのなか【世の中】 〔岩波国語辞典 第六版〕
人人が生活しているこの世。世間。
……………………

シンプルでよろしい!

| | Comments (126) | TrackBack (1)

稲葉振一郎『経済学という教養』を読む

稲葉振一郎の『経済学という教養』(東洋経済新報社)をやっと読んだ。午前2時から読み始め、午前5時に読み終えた。一部の章を除けば、かなり刺激的な書と言ってよいと思う。すでに多数の人たちがウェブや雑誌などの書評・感想を書いている。以下では、なるべくほかの人とかぶらないよう簡単に記す。


稲葉振一郎『経済学という教養』に関する書評・感想リンク
| bk1の書評 (1) | bk1の書評 (2) | Amazonカスタマーレビュー | bewaadさんの書評 | ちあきさんの感想 | 読書日記(obaさん) |

稲葉振一郎氏命名「教養としての経済学」三部作
ライブ・経済学の歴史 〈経済学の見取り図〉をつくろう
 小田中 直樹著、勁草書房
経済学思考の技術:論理・経済理論・データを使って考える
 飯田 泰之著、ダイヤモンド社
経済学という教養』稲葉 振一郎著、東洋経済新報社


本書は「経済学入門」であって、「経済入門」ではない(21ページ)
と、著者は述べているが、本書はいわゆる「経済学 "入門"」ではない(たとえば、マクロ経済学の初歩的な用語「乗数効果」が登場しないほどだ。だが、本書を「経済政策入門」という位置づけで捉えれば、それは欠点とは言えない)。「経済学」について学びたければ、稲葉振一郎氏命名「教養としての経済学」三部作にある、ほかの2冊(『ライブ・経済学の歴史』、『経済学思考の技術』)のほうがよい。乱暴にまとめると、本書は「経済政策論争の分析」と(マルクス経済学を含む広い意味での)「経済思想」について書かれている。

まず、「経済政策論争の分析」の部分(第2章〜第5章)について言えば、経済政策を専攻している学生は必読だろう。しかし、著者の分析そのものを真に受けるのはよくない。分析そのものの正しさが大事なのではなく、どのように理論や経済政策の正当性を見極めるのかという、その考え方(問題への切り込み方)を参考にするとよい(※1)。また、各学派の主張のよりどころとなっている思想によって、処方箋(=経済政策)がどれほど変わってしまうのかという点にも注目するといいだろう。

※1 (経済政策のよりどころとなる)理論の「メタ分析」を行っていると言ってもいい。

「経済政策論争の分析」の部分(第2章〜第5章)での唯一の不満は、数式と図がないためかえってわかりにくくなっているかもしれない点だ(少なくとも私自身はわかりにくいと感じた)。もっとも、著者は22ページで「この本の売り物」は「数学を(表立っては)いっさい使わない」と述べ、「「文化」としての経済学を語る本書なら」許されるだろうとしている。しかしながら、最低限の数式と図は使ってもよかったのではないだろうか。たとえば、「流動性の罠」や「名目賃金の下方硬直性」などは、図をもとに解説しないとかえってわかりにくいと思われる(というより、図がなくてもわかるのは経済学を学んだことがある人なのではないだろうか)。

ちょっと細かい議論になるが、経済政策論争をここまで詳細に分析するのだったら、第3章「補論 金融システムという魔圏」(88ページ以降)では、負の乗数効果やピグー効果についても触れてほしかったと思う。
【関連リンク】ピグー効果:経済コラム‐視点

次に「経済思想」についてだが、本書では折に触れて経済思想および経済学に登場する概念の "現在" 的意義が語られている。たとえば、「貨幣とは何か」といったものである。そして、周辺知識への手がかり(文献情報)が示されている。これを著者は「知識ネットワークの中での経済学のマッピング」(293ページ)と呼び、より深く学びたい読者の先導役となっている(※2)。人文系の周辺学問(学際)に詳しい著者ならではの広範囲にわたる文献紹介は、「人文系ヘタレ中流インテリ(※3)」にはそそられるものがあるのではないだろうか。

※2 最近の経済思想の本、特に近代経済学関連の書籍で「柄谷行人」という名前が出ることなどないと思われる。

※3 著者は「SAPIO」でのインタビューで以下のように答えたとのこと。
SAPIO:どんな読者像を対象に?
稲葉:人文系ヘタレ中流インテリですね。ヘタレ中流とは、昔のマルクス経済学でいうプチブルジョアといった感じで、私の造語ですが、実際に大勢いると考えています。例えば、経済学をもともと勉強していない経済記者であったり、金融マンやビジネスマンだったりする。そういう人たちも、やっぱり "教養" 程度の経済学を勉強してほしい。


「教養」とは何か?(290ページ、第8章)
「教養」とは何か、という問いに著者は以下のように答えている。

それは第一に「知的分業に参加できるためにみんなが最低知っておくべきこと」であるだろうが、それ以上に重要な第二の要素は「知的分業を可能とする社会的な枠組みと、それへの信頼感の共有」だろう。つまりそれって「公共性」と別のことではないんだ。

あえて言い換えさせてもらうと、「ニヒリズムに陥るな」ということなのだろう。

本書刊行時に、著者は「談」2004 no.70(特集「自由と暴走」。この特集では、仲正昌樹氏や森村進氏の記事も面白い。お勧めする)で公共性に関して述べている(記事名「自由主義の課題:個人と公共政策をリンクさせる」)。この記事は、著者の前著『リベラリズムの存在証明』と、教養および公共性という概念がどのように連続性を持ち、結び付いているかを知るのにちょうどよい。以下、引用する。

競争をしてもまったく良いことがないような状況下では、緊急避難的に競争のルールをあえて破ってまで自らの立場を守ることができるようにする。そして、経済が上向いてきた時には、再び競争に参加できるような位置を確保しておく。そういうような市場経済のコントロールを、政策当局ができるようにすること。それが、市場経済における公共性ではないかと思うのです。バカの一つ覚えみたいに自力救済とか自力更生とかいうのではなくて、それすらできない場合がある時には、むしろそれを禁じるような社会。それこそがリベラリズムではないかと思うのです。(94〜95ページ)
動物として生きるか、エリートとして生きるか。公共性の回路はエリートにあり、動物化のほうはそれとは無縁でかまわない、というわけにはいかないでしょう。教養や公共性という問題は、エリートレベルの問題というよりは、中間層、庶民の問題だと思うんです。オルテガの言う「大衆」です。オルテガは『大衆の反逆』の中で、教養は大衆にこそ必要だと言っていますが、まさに私もそれが言いたいのです。(96〜97ページ)


稲葉振一郎氏のリベラリズムは "元気の出る" リベラリズムだ。次回作も期待したい。

(追記)
「談」ホームページhttp://www.dan21.com/
「談」 no.70 特集「自由と暴走」の書評読書日記 2004年5月22日

| | Comments (28) | TrackBack (0)

クリステンセンの「魅力的な利益保存の法則」を読む

「DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー」の最新号(2004年6月号)にクリステンセンが短い記事を寄稿していた。

DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー 2004年6月号 | 目次
 特集 2004年:パワー・コンセプト20選
 「魅力的な利益保存の法則」 クレイトン・M・クリステンセン著

この記事でクリステンセンは、近著(『イノベーションへの解』)やHBRへの寄稿論文で扱ってきた「バリューチェーンの中で利益の源は時の経過とともに、どのように推移していくのか」について述べている。要約すると以下のようになる。

「仮説だが、大半の商品ではコモディティ化やモジュール化が起こると、これを契機としてバリューチェーンのどこか(=コモディティ化を免れたサブシステム)で「脱コモディティ化」のプロセスが生じる。
 コモディティ化はすなわち利益の減少(付加価値の減少)を意味するが、コモディティ化を免れたサブシステムでは高利益が期待できる。このようなサブシステムは、たいてい場合、コモディティ化したサブシステムに隣接している。
 つまり、このバリューチェーンにおいては、利益の発生源が別の場所に移動しただけであり総利益は変わらない。これを「エネルギー保存の法則」とのアナロジーで「魅力的な利益保存の法則」と呼ぶことにする」

このように述べてからクリステンセンは次のような示唆が得られるとしている。

 バリューチェーンにおいて魅力的な利益を獲得できる場所は、時と共に予測できるかたちで推移すると、私の仮説は示唆している。ひるがえって、現状においてコア・コンピタンスではない活動をアウトソーシングしている企業は、チャンスを逃してしまうかもしれない。

ここで疑問なのは、「利益を獲得できる場所が予測できる」としている部分である。もしその予測が比較的たやすいものであれば、どの企業も同様に予測するはずだ。通常は、同種の商品を生産する企業のバリューチェーンはほぼ似たようなものになるはずなので、各企業が同じように予想した場合は競争が激しくなり、特定の1社だけが高い利益を享受するのは難しくなる(※1)。したがって、この戦略は失敗する。逆に、その予測がたやすいものでなかった場合、この示唆には意味がない。


次に、この記事の締めくくりの言葉を引用する。

 この法則は、バリューチェーンのどの活動が将来最も高い利益を生み出すのかについて、予測するうえで有用である。これを用いることで「金のなる木」となる能力を開発あるいは獲得できるだろう。

もっともらしい結論のように読めてしまうが、これはクリステンセンが得意とする論法である。当初の仮説は、過去のいくつかの戦略をうまく説明できることから法則化される。そして、その法則を適用すれば望ましい選択肢を選んだり、将来を予測することが可能になるというのである。実際にはそこまではっきりとは言っていない場合もあるが、読者にそのように思わせるところが「クリステンセンはすごい」と言われる所以でもある。

しかし、過去のいくつかの事例から導かれた法則が、いま目の前にあるビジネスに適用できるかどうかを判断するのは簡単ではない。そもそも、経営戦略に関係する法則というものは、ほとんどのケースにあてはまる「一般法則」なのか、ごく一部のケースであてはまる「特殊法則」なのかを判断するのは困難である(少なくともその時点では)。たとえば、なんらかの因果関係があるように見えても、単に相関関係があるだけだったり(真の原因は他にある)、反例が示されることも多いからだ(本サイトの過去ログ「『イノベーションへの解』について質問される」の「ポーターの失墜と教訓」を参照)。黄昏さんは 2004年01月30日(金)の日記 でクリステンセンの著作を「統計マジックを使って理論を必要以上にアピールしたセンセーショナルな本」と評しているが、それほど的はずれではないだろう。

私は悪口を言いたいわけではない。クリステンセンは優秀な「経営戦略の分析家」だ。だが、我々にとってクリステンセンの理論は、あくまで「分析ツール」でしかない。分析ツールは大いに活用すればよいが、いくら彼の著作に感銘したからといって、我々自身が「ミニ クリステンセン」になる必要はない(※2)。過去の経営戦略の分析から得られた教訓(あるいは示唆)を法則化するのが彼らの仕事なのだから、それは彼らに任せておけばよい。

我々がやるべきことは、自らの手で未来を掴むことなのである。(※3)



※1 これは、経済学における 合理的期待仮説 との類似が想起される。

※2 クリステンセンは『イノベーションへの解』の最後で「今後は、読者にバトンを渡したい。われわれの取り組みを基にして、読者がイノベーションの「ジレンマ」に対する自分なりの「解」を導いてくれることを望むばかりである」と書いている。にもかかわらず、345ページ以降では、「経営者への助言」として経営戦略策定・実行にあたっての指針のようなものを示している。これは親切なようだが、読者をミスリードしてしまう可能性が高い。彼の本に感銘を受けた読者はクリステンセンの「法則」の虜になり、「この技術は破壊的、これは持続的」とジャッジ(黄昏さん)したり、「この技術はコモディティ、これは脱コモディティ」とジャッジする議論ばかりするようになる。

※3 if→itself の「3:43 2004/05/27【消費する】」より
「ところで、豊かな人間というのもやっぱり、その豊かさがオリジナルであることが求められると思う。どれだけ知識がたくさんあっても、自分の経験に基づかない借り物の知識ばかりでは深みがない。ご飯を食べるだけ食べて寝っ転がっていたら肥満になるだけであり、そのエネルギーを使って労働してこそ食事の意味があるように。外部からの情報を消費するだけではなく、自分独自の情報を生産できるようにならないといけない。


【関連リンク】
『イノベーションへの解』bk1 | amazon | 翔泳社 | UBブックレビュー
上記の「UBブックレビュー」では、ホンダの事例が紹介されている(『イノベーションへの解』の308〜311ページの要約)。クリステンセンはこの事例を創発的戦略プロセスの好例だとしているが、あとから分析してみると「そう見える」というだけなのではないだろうか。もちろん、このような「後知恵」も教訓のひとつであり、教訓とは得難いものであるから大事にしなければならないのは確かだ。ちなみに、「教訓」はPMBOKの完了手続きプロセスのアウトプットのひとつでもある。教訓には、プロジェクトの成功要因と失敗要因が記述され、以降のプロジェクトで活かすことができる(参考:『PMP教科書 Project Management Professional』の第11章)。

「黄昏の部屋」2004年1月30日(金)の日記
クリスティンセンのジレンマ - イノベーションを生み出さない読者たち
http://www.myprofile.ne.jp/_green-bamari+diary+2004+

| | Comments (0) | TrackBack (0)

『イノベーションへの解』について質問される

遠野君に質問された。

「クリステンセンの『イノベーションへの解』がすごいらしいんだけど、読んだほうがいい?」

困った。たしかにクリステンセンの『イノベーションへの解』はすごい。識者たちの評価も高い【1】。だが、遠野君はコンサル会社に勤めているわけではなく、ソフトウェアハウスのプロジェクトリーダーにすぎない。経営戦略の立案に関わっているわけではない(おそらく今後も)。そんな遠野君に『イノベーションへの解』を勧めてもいいものだろうか。少し考えてから、答えた。

「事業計画を立てるときに使えるかもね。これまでの経営戦略の理論をうまく取り込んでいるから、一粒で二度おいしいよ」

遠野君は礼を言い、「また今度飲もう」と言って去っていった。一体いつになることやら。


実は、遠野君の読む意欲がそがれるといけないので言わなかったことがある。動機づけの理論【2】によれば、「それはどうか」と疑問を呈したり、マイナスの評価を発言することは禁物とされている。それは正しい。従うべきだ。

では、なぜこの記事を書いたのか。遠野君が『イノベーションへの解』を読み終わり、このページを見たら電話してくるだろう。そして、意見をやり取りしていけば、そこから新しい見解が生まれてくるかもしれない。以下は、そのためのネタ振りである。

【関連リンク】
『イノベーションへの解』:bk1 | amazon | 翔泳社 | UBブックレビュー
『適応型ソフトウェア開発』:bk1 | amazon | 翔泳社 | 川俣晶の縁側
 本サイトの過去ログ:「イノベーションのパラドックス」を読む


決定論と創発的プロセス
本当は遠野君には、ジム・ハイスミスの『適応型ソフトウェア開発【3】を勧めたかったのだが、今回はやめておいた。その理由は2つある。ひとつは、現在、クリステンセンの理論を用いてビジネスあるいはマーケットを分析するのがはやっているためである。もうひとつは、ジム・ハイスミスの『適応型ソフトウェア開発』よりもクリステンセンの『イノベーションへの解』のほうが理論的に整備されており、わかりやすいからである。

面白いことに、この2冊の本が参考にしている書籍は相当数かぶっている(申し訳ないけれど、何十冊あるかは数えていない。それでも10冊以上はあるはずだ)。たとえば、『イノベーションへの解』の21ページに出てくる「メンタル・モデル【4】は、ジム・ハイスミスも非常に重要視している。どちらも過去の先達の理論を吸収し発展させているため、似たような説明をしている箇所もいくつかある。

細かい差異については、ここでは記述しない。論理展開や結論に差異が生じるのは、依拠する理論や何を重視するかによって変わってくるからだし、それは当然のことだからだ。ただ、クリステンセンとジム・ハイスミスには決定的な違いがある。ひと言で言えば、次のようになる。

クリステンセンの理論は決定論的で、ジム・ハイスミスの理論は非決定論的(複雑系)である

これに異論がある人がいることは承知している。クリステンセンはひと言も自分の理論を決定論的とは述べていない。だが、「理論」の力をもってすれば、「現実」に対処することは完璧に可能である、と言っているように読めるのである。関連する箇所を引用する(344ページ)。

「本書で繰り返した重要なメッセージは、状況に基づく理論 という手引きなしで、成功した企業のベスト・プラクティスを盲目的に模倣することは、羽のついた翼を体にくくりつけて強く羽ばたくのと変わらない、ということだ。〔中略〕優れた理論はすべて状況区分を基にしており、求められる成果を達成するためには、状況の変化に応じて戦略をどのように使い分ければ良いかを説明できる」

また、第8章「戦略策定プロセスのマネジメント」では、将来を予見することができる環境下では「意図的意志決定プロセス」が有効だが、将来を予見することができず、何が正しい戦略かはっきりしないような状況では、「創発的意志決定プロセス」主導で戦略を策定することが望ましい、と述べている(260ページ)【5】。しかしながら、意図的戦略が有効かつ妥当と判断される状況は滅多に生まれないため、結果として意図的および創発的意志決定プロセスは合流して実際の戦略になるとしている(260〜261ページ)。

そして、クリステンセンはこう言う。創発的戦略プロセスを加速させるには「発見志向計画法」という徹底手法を用いればよい。そうすれば、試行錯誤を漫然と繰り返した場合よりも、有効な戦略をはるかに早く、目的を持って生み出すことができるのだ、と。

つまり、「学習する組織【4】」を作り上げるわけだ。組織とは人材の集合体であるから、いかに人材育成を行うかという問題に行き着く。人材育成については、『イノベーションへの解』の第7章に書いてある。さらに、新規事業にふさわしいプロセスを構築するための手段である「重量級チーム」については244〜247ページに書いてある。「重量級チーム」はアイデアとしてはいいが、実行可能性という点からは疑問が残る。「重量級チーム」と、『適応型ソフトウェア開発』の127ページ「5.4.3 コラボレーションの落とし穴」を比較して読むと面白いかもしれない。

『イノベーションへの解』では、人材育成に関わる理論、手法が複数登場する。これは、上述の状況に基づく理論に従った考え方だ(状況や前提条件の違いによって、採用する戦略が変わる)。クリステンセンの言う人材育成に関わる理論が、全体としてはどのようなものになるのかは私にはわからない。

おそらく本書は、sugimoto さんが言うように「行動マニュアル【1】」として読むのがいいのだろう。あるいは、最近はやりの「コモディティ化」(第6章)のように "つまみ食い" するとか。

クリステンセンの理論は用意周到でスキがない【6】のは、ジム・ハイスミスの理論と対照的だ。これは悪い意味ではない。ジム・ハイスミスはあえて、たやすく理路整然とは断言できない領域に踏み込んでいるのである【7】。近著の『Agile Project Management』【3】では、もう少し整理されたものを提示してくれるのではないかと期待している。

『適応型ソフトウェア開発』では、「組織はコラボレーションを行うことで創発による結果を生み出すことができる」(121ページ)ことについてかなりの紙幅を費やしている。ジム・ハイスミスは以下のように述べている。

「複雑な環境でマネジメントすることは恐ろしいことであるが、刺激でもある。予測や計画が不可能であれば、(従来のマネジメントにおける意味合いでの)制御も不可能である。制御が不可能であれば、現行のマネジメント方法のかなりの部分はもはや実施不可能である。より厳密に言えば、開発プロセスの比較的予測可能な部分(たとえば構成管理など)にしか適用できないことになる。
 コラボレーションによって、組織の創発が生じる。「素晴らしい」と「単純な良い」とを区別する、「おおっ!」と感じる性質である。ときには、現れてきた性質がほとんど神秘的に思えることもあるが、物理学からセルオートマトン、ソフトウェア開発プロジェクトに至るいくつもの分野で、創発が説明されている。〔中略〕複雑適応系の研究によって、創発とはどこか得たいの知れない性質だという見方が間違っていることが実証されつつある。創発は、予測不可能なところはあるが、まぐれ当たりとはまったく異なるものである」(41〜42ページ)

出発点からして、クリステンセンとジム・ハイスミスは異なる。どちらが良いとか悪いということはないが、『適応型ソフトウェア開発』のほうが組織のダイナミズムについてより深い洞察を得られるだろう。もちろん、読む順番は『イノベーションへの解』が先のほうがよい(理由は上述のとおり)。

ポーターの失墜と教訓
以前、マイケル・E・ポーターの理論が大流行した。そして、失墜した。この経緯については、『経営革命大全』【8】に詳しく書かれている。

「ポーターの詳細な分析の目的は、あてずっぽうな未来予測をなくしてビジネスに世界に秩序をもたらすことにあった。〔中略〕ポーターのアイデアがうまくいかなかった主な理由は、一部の企業が象牙の塔で考え出されたルールに従わなかったことにある。1980年代、ポーターがアイデアに磨きをかける一方で、数多くの日本企業と、ウォルマートをはじめとする米国のいくつかの新興企業は、ポーターが不可能と判断した戦略を実行してみせた。低コストと差異化を両立させたのである」(353ページ)

「一方、戦略計画や戦略プランナーの存在価値さえ疑問視する人も出てきた。〔中略〕マッキンゼー賞を二度も受賞したヘンリー・ミンツバーグは、1994年の著書『「戦略計画」創造的破壊の時代』(産能大学出版部)の中で戦略計画を批判し、その死亡を宣告した。
 問題は戦略計画と戦略的思考が同じではないという点にある、とミンツバーグは書いている。実際、戦略計画が戦略的思考の障害になることもある。ミンツバーグによれば、「計画には〈分解〉作業が付きものだ。つまり、目標または一連の意図に行き着くまでの過程をいくつかの段階に分け、それらを形式化してほぼ自動的に実施できるようにし、段階ごとに予想される結果または成果を明確に示す作業である。…… 逆に、戦略的思考は〈統合〉する作業であり、直観と想像力を必要とする。戦略的思考とは、企業の全体的な展望、おおまかな方向性を示すために行う作業なのだ」」(354ページ)


言葉は違うけれども、基本的な構図はクリステンセンとジム・ハイスミスも同じだ。歴史は繰り返す。そういうことなのだろう。



【1】:sugimotoさんの「MOTの原典になりえる『イノベーションへの解』(副読本の紹介)」(Future Planning Network)より

「私は本書を、イノベーションのために行動を起こそうとする全てのビジネスマンに強くお勧めしたいと思います。本書を改題するとすれば、それは『イノベーションのためのティッピング・ポイント』。それぞれのアクターが企業内外の環境のどこを押せば最大の効果を生み出すことができ、結果的に企業に将来の成長事業をもたらすことができるのか。そうした行動マニュアルとして本書を読まれるのも一案かと思われます。
 上記のような観点から読むのであれば本書を丁寧に通読するだけでも十分に役に立つでしょう。しかしながら、本書の各章で取り上げられている主な概念(コアコンピタンスやコモディティ化、アーキテクチャ、モジュール化などのコンセプト)は、著者の膨大な知識を集約しているものであり、より深く真意を理解するには、基礎的な経営関連知識や関連文献の通読も不可欠かもしれません」

【2】:ここでの話とは直接関係ないが、動機づけに関して面白そうな本を Pssion For The Future の橋本大也さんが紹介していた。「集中力」から、改行などを一部修正したものを引用する。

「著者によると、集中力の動機づけには、内発的動機と外発的動機の2種類があるという。内発的動機とは、自分自身の中から発する目標達成への動機づけであり、単純な刺激に対する欲求(刺激のなさを嫌う気持ち)や、好奇心、こうしたらどうなるだろう?という探究心等から発する。これに対して外発的動機とは、達成することにより報酬(金銭や賞など)が与えられる場合に起きる動機づけのことである。
 内発的動機は、以下の3つに分類できる。
  感性動機: 環境刺激を求める
  好奇動機: 感覚的に環境を経験しようとする
  操作動機: 自己の行為を通じて環境を知ろうとする」

【3】:『適応型ソフトウェア開発』(ウルシステムズ株式会社 監訳、翔泳社、2003)の原書『Adaptive Software Development』(James A. Highsmith III)は、Software Development 誌が毎年選出する Jolt Awards 書籍部門の 11th Jolt Award(2000年度)を受賞している。近著は、『Agile Project Management : Creating Innovative Products』(Addison-Wesley、2004)だ。『適応型ソフトウエア開発』が理論編とすれば、『Agile Project Management』は実践編と言えるだろう。

【4】:「メンタル・モデル」については、ピーター・センゲ(Peter Senge)の『最強組織の法則』(徳間書店、1995)を参照。同書ではそのほかに「学習する組織(learning organization)」という概念についても解説している。「Senge は、革新的な学習する組織を作り上げるために必要な5つのアプローチについて詳しく述べている。そのアプローチとは、システム思考、チーム学習、メンタルモデル、共有ビジョン、自己マスタリーの5つである。Senge のほかに、Gerald Weinberg〔ワインバーグ〕などもこれらについて書いている(以下略)」「システム思考とは、全体を見るための訓練である。もの自体ではなく相互関係を、静的な「スナップショット」ではなく、変化のパターンを見るためのフレームワークである」(『適応型ソフトウェア開発』143ページ)。

【5】:『イノベーションへの解』259ページの「図8-1 戦略が定義され実行されるプロセス」と『適応型ソフトウェア開発』36〜37ページの「図2.2 イテレーション型開発ライフサイクル」「図2.3 適応型開発ライフサイクル」を見比べてみると、「意図的〜」「創発的〜」が「イテレーション型〜」「適応型〜」に対応しているのがわかる。

【6】:おそらく、『イノベーションへの解』の処方箋のすべてを完璧に理解し、操れるのはクリステンセンしかないのではないか。『イノベーションへの解』の理論的完成度(「秀才度」)を見るにつけ、そう思ってしまう。自分の理解不足なのだろうが、クリステンセンが示す解(および理論)が一歩足を踏み外せば転落してしまうような、危うい均衡の上に成り立っているように見えてしまうのだ。関連して、米長邦雄永世棋聖の言葉が連想される。米長邦雄永世棋聖でさえ、このように言っているほどなのだ(もっとも、米長棋聖は奇才・多才であるのだが)。他は推して知るべしだろう。以下、「雑記帳(メジャーリーグ、将棋、抜書き) by Mochio Umeda」の2004年5月16日の抜き書き からの孫引き。

米長邦雄「人間における勝負の研究」より
将棋で最善手を見つけることは、本当に大変なことです。しかし、最善手を見つけることも大切ですが、それよりももっと大切なのは悪手を指さないことです。だから、悪手でない道なら、端でも真ん中でも、どこを歩いてもよいのです。(略)
要するに、悪手の山の中を歩いているようなものが「人生」なのです。

[追記]米長邦雄氏の近著は『米長邦雄の本』(日本将棋連盟)。羽生善治、谷川浩司両棋士をはじめ20数名が友情寄稿しているそうです。以下、米長邦雄氏ホームページより(棋譜を立ち読みするのはちょっとキツイなぁ)。

「達人の道」米長邦雄著(毎日コミュニケーションズ)
この本は富士通杯達人戦での私の勝局集です。多くの棋戦の中で富士通杯のみは非公式戦ですので棋譜も非公式。私の記録からも全て削除されてしまいます。そこで考えたのが、私の著書として残すという方法です。せめて立ち読みするか、ニフティの会員になってね。

【7】:たとえば、ジム・ハイスミスの組織観は単純かつ一貫している。それは「組織とは本質的に複雑適応系である」というものだ。つまり、組織は決定論的なシステムにはなり得ないと言っているのである。

【8】:『経営革命大全 世界をリードする79人のビジネス思想』ジョセフ・ボイエット/ジミー・ボイエット著、金井寿宏 監訳、大川修二 訳、日本経済新聞社、1999。本書には文庫版( 日経ビジネス人文庫)もある。

| | Comments (123) | TrackBack (4)

『ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ』を読む

※ 以下ではいくつか翻訳の不備を指摘しているが、本書の価値を損なうものではない。また、訳しづらい原著者の英文を読み解き、無事刊行されたことに関しては敬意を表したい。

ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ
ロバート・L・グラス著、日経BP社 ISBN:4822281906

【内容】
IEEE Software誌の気鋭コラムニストが「名著」をめぐる旅で確信した真実
ソフトウエアの世界には、法則集は多くありますが、本書はソフトウエア開発における「真実」と「ウソ」をクールな視点でまとめた読み物です。プロジェクト管理、品質管理、ライフ・サイクル、再利用、見積もり、教育など幅広いジャンルから引き出したの“55”の真実と“10”のウソ。... (日経BP社の書籍紹介 より一部引用)

【目次】
邦訳書:http://bpstore.nikkeibp.co.jp/item/contents/m_4822281906.html
原書:http://www.informit.com/title/0321117425#

【原書立ち読み】
原書の一部を以下で参照できる(いずれも「About Management」と題された章)。ページ数としては、約3割公開されている。
第1部 第1章(Fact 1〜22):
Facts of Software Engineering Management
第2部 第5章(Fallacy 1〜6):
Fallacies of Software Engineering Management

※ その他参考図書:『悲しいとき』いつもここから著



『ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ』の悲しいとき

悲しいとき

management が「管理」と訳されているのを発見したとき


悲しいとき

「プロジェクト管理」の「管理」に「マネジメント」とルビがついているのを発見したとき

プロジェクト管理
(『ソフトウエア開発 55の真実と10のウソ』、10ページ1行目)


悲しいとき

manager が「管理者」と訳されているのを発見したとき


悲しいとき

よく見たら、manager / management の訳語に「マネジャー/マネジメント」も使っているのを発見したとき


【注解】
米国には遅れをとっているが、近年、PMP(Project Management Professional)に代表されるプロジェクトマネジメント分野の普及・発展は著しい。management という用語は以前は「管理」と訳すのが普通だったが、少なくともプロジェクトマネジメント分野では「マネジメント」と訳すのが了解事項となっている。同様に、manager は「マネジャー」だ。もちろん、プロジェクトマネジメントでも「管理」という用語は登場する。では、プロジェクトマネジメントにおける「管理」とは何なのか? それは、「変更管理(change control)」に代表されるように control のことである。マネジメントと管理(コントロール)の違いは、以下のようになる。

マネジメント=プロジェクトをうまく成し遂げるために行う作業
管理(コントロール)=プロジェクトに影響を与えるなんらかの事象(厳密には「変更(change)」と呼ぶ)が生じた場合に、適切に対処すること、それに伴う作業。

厳密さを欠く言い方になるが、マネジメントは「プロジェクトを計画どおりに円滑に遂行すること」が目的であり、管理(コントロール)は「障害を検出し、取り除き、正しい方向に導くこと」が目的となる。

※ 参考資料1:『PMP教科書 Project Management Professional』(翔泳社)
※ 参考資料2:日経IT Pro 情識・常識 「マネジメントとコントロールは違う」(日経コンピュータ2003年2月24日号,32ページ再録) より引用
 「マネジメントとは、正しいことをするという意味である。これに対し、コントロールとは、ことを正しくするという意味であり、マネジメントとは違う。日本企業は一般に、コントロールについては卓越しているが、マネジメントの仕組みを真に確立しているとは言い難い。仕組みを確立するにあたっては、包括的なマネジメント体系を取り入れる必要がある。それがプロジェクトマネジメントである」(峯本展夫氏、合資会社プロジェクトプロ CEO) [20040420追加]


管理とマネジメント
では、実際に本書でどのように訳されているか見てみよう。本書の第1章の冒頭(10ページ)から引用する(原文も併記する)。

正直になところ、ソフトウエアのプロジェクト管理は、死ぬほど退屈なものと思っている。これまで、管理の本をいろいろ読んだが、管理とは、95%は常識で、残りの5%は大昔から引き継いできた教訓だ。この本の最初の章で、わざわざ管理を取り上げたのには理由がある。公平に見ると、ソフトウエアの開発で、一番影響が大きく、目につきやすいのが管理だ。例えば、開発の失敗は、マネジメントが悪かったせいにされる。

To tell you the truth, I've always thought management was kind of a boring subject. Judging by the books I've read on the subject, it's 95 percent common sense and 5 percent warmed-over advice from yester-decade. So why am I leading off this book with the topic of management?

Because, to give the devil its due, most of the high-leverage, high-visibility things that happen in the software field are about management. Most of our failures, for example, are blamed on management.

すでに指摘したように、management が「管理」と訳されており、さらに「マネジメント」も使われている。どのような使い分けなのかは私にはわからない。しかし、これでは読みにくいので「管理」を「マネジメント」に直し、不要な読点も取ったものを以下に示す(本書は不要な読点が多いのも気になる)。

正直になところ、ソフトウエアのプロジェクトマネジメントは死ぬほど退屈なものと思っている。これまでマネジメントの本をいろいろ読んだが、マネジメント※とは95%は常識で、残りの5%は大昔から引き継いできた※教訓だ。この本の最初の章でわざわざマネジメントを取り上げたのには理由がある。公平に見ると※、ソフトウエアの開発で一番影響が大きく目につきやすいのがマネジメントだ。例えば、開発の失敗はマネジメントが悪かったせいにされる。

では、内容を吟味してみよう。どのように読解するするかにもよるが、最初の※印の箇所「マネジメント※とは95%は常識で…」というのはおそらく違うだろう。この文の主語 It は 前文の the books(マネジメントに関する本)を指しているのではないか。2つ目の※印の箇所「大昔から引き継いできた※教訓」は単純な誤訳。warmed-over は、「(議論・意見などが)蒸し返しの」という意味だ。3番目の※印の箇所「公平に見ると※」は文章がつながらない。「to give the devil its due」は、「いやなやつでも評価すべきところは評価してやる」の意。「公平に見ると」でもよい場合はあるが、著者は「マネジメントなんて気に入らない」という態度なのだから、ここでは不適切だ。

また、最後の「ソフトウエアの開発で一番影響が大きく目につきやすいのがマネジメントだ。例えば、開発の失敗はマネジメントが悪かったせいにされる」は、「例」になっていない。もしこの訳ならば「このため、開発の失敗はマネジメントが悪かったせいにされる」とならないと意味が通じない。

以下に、修正訳を示す。

正直言って、マネジメントは退屈な分野だと思っていた。これまでにマネジメントに関する本はいろいろ読んでみたが、そのほとんどは常識的なことばかり書いてあり、あとは二番煎じのアドバイスでしかなかった。では、なぜ本書の出だしがマネジメントになっているのだろうか。

その理由は、マネジメントはソフトウェアの開発で一番影響が大きく、最も目につきやすいからだ。これは筆者の偏見ではない。実際、大半の失敗はマネジメントが悪かったせいにされる。 [20040419修正]


管理(コントロール)と制御
本書では management を「管理」としているため、PMPなどのプロジェクトマネジメント技法を学んだ者にとっては、とまどう表現が登場する。前述のように、一般的な理解では「管理」とは control の訳語だということを頭に入れて、以下の引用をお読み頂きたい(原文を併記する)。

「測定できないものは管理できない」 "you can't manage what you can't measure" 「測定できないものは、制御できない」 'you can't control what you can't measure.'" (邦訳書、第2部 第5章「ウソ1」、249-250ページ)

この言葉はデマルコが『Controlling Software Projects』の冒頭で述べた言葉である。デマルコは、誤って "you can't manage what you can't measure" と書いてしまったとグラスに告白している(正しくは、'you can't control what you can't measure.'" )。プロジェクトマネジメント分野での通常の理解では、「管理」も「制御」も control のことだと思ってしまうため、この2つの文は同義になってしまう。デマルコが誤って書いた前者のほうの「管理」は「manage」のことだと、いちいち頭を切り換えないといけない。

デマルコの名前が出てきたので、本年度の Jolt Award(Software Development Online: Jolt Product Excellence and Productivity Awards)を受賞した『熊とワルツを』(邦訳)を見てみたところ、こちらも risk management を「リスク管理」としている。

しかし、これは版元(日経BP社)の統一方針ではないらしい。たとえば、日経IT Proの「トム・デマルコ氏インタビュー(完全版)(日経コンピュータ2004年3月8日号掲載分の再録)」を見ると以下のようになっていた(「質問者:」「デマルコ:」は補足した)。

質問者: リスク・マネジメントは古くからあるトピックだと思います。この時期に『熊とワルツを』というリスク・マネジメントに関する本を出した意図は何だったのでしょうか。 デマルコ: ソフトウエア分野におけるリスク・マネジメントは、決して古いトピックではありません。

やはり、日経コンピュータのように management は「マネジメント」と訳すべきだろう。

また、control は基本的に「コントロール」と訳し、日本語として座りが悪い場合のみ「管理」と訳せばいいのではないだろうか。たとえば、「変更コントロール」のような漢字とカタカナを混ぜた表記はどうも座りが悪いと思える場合は、「変更管理」とすればよい。[20040420追加]

(追記)日経ITプロフェッショナル 2004年4月号のブックレビュー(140-141ページ)の特集は「リスク・マネジメント」だ。リスク・マネジメントに関する本を7冊取り上げ、峯本展夫氏(前出)がレビューしている。『熊とワルツを』も取り上げられている。ここで峯本氏は、『熊とワルツを』の翻訳を以下のように批判している。

残念なのは、「マネジメント」が「管理」と訳されていたり、「アーンド・バリュー」が「稼得価値」に、「コンティンジェンシー計画」が「危機対応計画」に訳されるなど、日本語にすることでかえって分かりにくくなっている用語があることだ。

(追記)コンティンジェンシー・プラン(contingency plan):「不測事態対応計画」と訳される場合もある。不測の事態(リスク事象)をあらかじめ想定した代替案(計画)のこと。上記のように「危機対応」としてしまうと、軍事計画の「crisis response」が連想されてしまう。「ビジネスは戦争だ」という意見もあるが、ここでは関係ない。 [20040429追加]




ドラッカーが悲しいとき

technologist の訳語が「テクノロジスト(技能労働者)」ではなく「エンジニア」あるいは「プログラマ」となっているのを発見したとき


【注解】
テクノロジスト(technologist)は、ドラッカー的世界観におけるキーワードである。これについては、日経BP社の谷島宣之記者の記事が詳しい(「谷島の情識」)。たとえば、以下のページを参照してほしい。

ネクスト・ソサエティを読む2:テクノロジスト(技能技術者)が主役」(谷島宣之記者)

谷島宣之記者のページでは、テクノロジストを以下のように説明している。

知識労働者とは、今までは医師、弁護士、教師、会計士、化学エンジニアなど一部の人たちを指していた。これに対し、テクノロジストとは、コンピュータ技術者、ソフト設計者、臨床検査技師、製造技能技術者などを指す。テクノロジストは、「知識労働者であるとともに肉体労働者でもある。むしろ頭よりも手を使う時間のほうが長い。だがその手作業は、徒弟制度ではなく、学校教育でしか手に入れない知識を基盤とする。とびぬけて収入が多いわけではないかもしれない。しかし、彼らは、プロフェッショナルである」と書かれている。 ※『ネクスト・ソサエティ』P. F. ドラッカー著、ダイヤモンド社

日経ビジネスのインタビューでドラッカーは、テクノロジストに関して以下のように述べている。

現代の大きな社会変化は、人口の減少と単純労働が中国に移るなど働き手の質の変化である。この2つの変化に連動して、新しい働き手「テクノロジスト」と呼ばれる人達が増加している。テクノロジストとは、高度な専門技術や技能を持ったナレッジワーカー(知的労働者)のことで、米国を始め欧州や日本でも活躍の場を広げている。テクノロジストの特徴は出世を望まず、経営幹部になって報酬を3倍に高めるより、専門家として思い切り働きたいと願うこと。組織に対する忠誠心よりも自分の専門領域への情熱を優先する。今起きようとしている第4の情報革命の中で主役に躍り出るのはテクノロジストである。

※「ドラッカー 未来企業を語る」、日経ビジネス 2003年4月 特別編集版「情報力を鍛え直す」。特別編集版が見つからなかったため、以下のWebページを参考にした。
 ・「本当に役に立つ」ビジネス書をご紹介します!
 ・建設お助け隊・建設レーダー

原著者のグラスが「technologist」と記述した場合、おそらくドラッカーの言うテクノロジストを意識して書いていると思われる。であれば、テクノロジストを単純に「エンジニア」とか「プログラマ」としてしまうのは良くないだろう。深い意味がない場合もあるかもしれないが、わざわざ「テクノロジスト」という言葉を使うことによって、我々に言外の意味を伝えようとしているのかもしれない。

「テクノロジスト」が最初に出てくる箇所は10ページだ。引用する(原文も併記する)。

筆者が、管理の重要性を認めたくないのには、理由がある。筆者がソフトウエア技術者として、まだ駆け出しのころ、人生の岐路に立たされた。これまで通り、エンジニアとして自分の好きなプログラムを作るか、マネジャーになるかだ。 Why do I hate to admit it? Early in my career, I faced the inevitable fork in the road. I could remain a technologist, continuing to do what I loved to do—building software, or I could take the other fork and become a manager.

これは「テクノロジスト」のほうがふさわしいのではないだろうか。グラスの複雑な気持ちが「a technologist,」という言葉に込められている気がする。

続いて62ページ(訳文は、「何か」を「どれだったか、と」に修正)。

管理者は当該プロジェクトのプログラマに、これまでで最も成功したプロジェクトはどれだったか、と聞いた。 He asked the technologists on the project to talk about the most successful project they had ever worked on.

続いて63ページ。

このプログラムを開発することは、技術的に大きなチャレンジだった(データによると、エンジニア連中は、技術的に困難な問題を解決することに、大きな喜びを覚えたらしい)。 Developing the product had been a technical challenge. (Lots of data show that, most of all, technologists really like overcoming a tough problem.)

62ページと63ページで「プログラマ」と「エンジニア連中」と別の訳語をあてている理由は不明だ。しかし、どちらも「テクノロジスト」にしなければならないというほどではない気がする。

続いて251ページ。

マネジャーは、片方の手でモチベーション教育や品質確保の方法論を進めながら、もう一方で、厳しい工程を押しつけ、品質を下げている。管理者は、両方を同時には強制できないし、エンジニアも馬鹿ではないので、同時にできないことは承知している。 Management is motivating and methodologizing with one hand and applying antiquality schedule pressure with the other. It is simply not possible for those managers to have it both ways. And most technologists are smart enough to know that.

ここでは、Management=マネジャー、managers=管理者、 technologists=エンジニア、と訳されている。managers をマネジャーと訳したり管理者と訳したりと一貫性がなく、非常に混乱する。原文を知らないと、違う職能だと思ってしまうはずだ。おそらく、Management は managers の上の階層のことを指しており、「経営層」あるいは「マネジメント層」のことだ。その下にマネジャーがいる。どうしても、Management=マネジャー としないと話が合わないのであれば、(その箇所だけは)managers=リーダー とすればいいだろう。

また、「テクノロジスト」が登場するときは、マネジャーとの対比で登場することが多いような気がする。「テクノロジストはマネジャーと違って、こうなんだ」というグラスの主張があるのではないだろうか。ただ、グラスはひねくれ者なので、意固地になって使っている場合もある点には注意したい。

最後になってしまったが、本書は含蓄があり面白い。ソフトウェア工学、あるいは通り一遍のシステム開発本には飽きている諸兄にお勧めしたい。

【おすすめ度】 ★★★★

| | Comments (1) | TrackBack (1)

«CNET Japan「渡辺聡・情報化社会の航海図」を読む